伊庭八郎~伊庭八郎~心形刀流の跡取りでのち遊撃隊に所属、鳥羽伏見で負傷するも戦い続け箱根で重傷を負い左手を失う。(T_T) 榎本艦隊に合流、北を目指すが乗り込んだ美加保丸が座礁し、追われる身に。 その後さまざまな苦労を乗り越えようやく函館へ着いたのは明治元年11月28日蝦夷平定直後だった。 そして先着していた遊撃隊と合流、松前に詰める。 明治2年4月新政府軍が乙部より上陸、各地で激戦が始まると伊庭も出撃するが多勢に無勢たちまち江差が占領される。 そして数回の激戦の末松前も…。 明治2年4月20日胸部に被弾(諸説有)し、五稜郭へ運ばれる。 傷は手の施しようもないくらいひどかったらしい。(T_T) 5月に入り戦況はいよいよ悪化、11日に土方さんが戦死、それを知って榎本にもらったモルヒネを飲み干した (最期については諸説あるが自分なりの解釈&希望と言う事で5/12説) とまあ、本当に簡単に紹介してみました。(←簡単すぎるだろ;) この方、錦絵になるほどオトコマエで剣も強く「伊庭の小天狗」「隻腕の美剣士」など色々言われてました。 グルメで好奇心も旺盛、でも方向音痴らしく元治元年に将軍のお供で上洛したときの「征西日記」にはいろいろ楽しい話が満載らしい。(←これから読みます(^^ゞ) 追記: 読みました 伊庭クンってこういう人なのね。と思わせてくれるステキな史料です おまけに迷子札まで残っていてなぜか函館五稜郭分館にあります。 伊庭クンの最期は看取った鎌吉サンによって伝えられ、伊庭家のお墓に魂は眠ってます。 伊庭家のお墓は中野・貞源寺に、円通寺 の「死節之墓」には名前があります 「伊庭八郎のすべて」新人物往来社のカバー写真は洋服の伊庭クンです。 五稜郭分室にある肖像とは全然違いますが、顔が良くわからない…。 両手で銃を持ってるので鳥羽伏見の頃でしょうか? 何処に在ったのかしら?この写真。 土方さんとは顔なじみだったというステキなオハナシ も残ってる ジャンル別一覧
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